【爆走迷走録・彩(1年間に6回通ったサイパンの最終章)】

Pocket

2005年11月中旬、前回のサイパン渡航から1カ月も経過していなかったが、小生はサイパン行きの機上の人となっていた。クリスティはすでにサイパンからフィリピンの故郷パンガシナン州ダグーパン(Dagupan)へ帰国していたものの、小生が友人ら2人を誘って数ヶ月前に予約していたサイパン旅行の日を向かえサイパンへ飛んでいた。この年、小生は6回目のサイパン渡航だった。

広告

小生がこれまでサイパンでクリスティとデートするときは必ず彼女の同室の妹分であるロビーちゃんを従えてやってきた。従って、小生を含めたクリスティ、ロビーちゃんの3人で行動することが多かった。このロビーちゃんは気遣いができる娘であり、また控えめな性格である。いつ何時もクリスティに対して非常に丁寧な対応をみせ、「Opo ate」を欠かさなかった。小生はロビーちゃんのこの丁寧な対応と「Opo ate」が好きで目を細めて見ていたと同時に、彼女たちの見事な上下関係に感心していた。

0710
(小生らが宿泊した「HYATT REGENCY SAIPAN」)

夜は、友人を引き連れて『MICRONESIA(ミクロネシア)』に入店した。フィリピンに帰国したクリスティはいない。そこで小生はロビーちゃんを指名したわけだが、予想していなかったのかロビーちゃんは非常に驚いている。指名の理由は単純で、「来店時はロビーちゃんを指名するように!」とクリスティから釘を刺されていたためだ。こうしてロビーちゃんと話す機会が訪れたのだが、彼女の作り出す柔らかい雰囲気のせいかとても居心地が良かった。カラオケするもなぜか調子いいし、隣では恥ずかしそうにしながらもロビーちゃんが踊ってくれている。手土産の菓子詰めを渡すと、安物なのにえらく喜んでくれた。ロビーちゃんとチークダンスを踊れば、彼女の華奢な体に小生が緊張してきた。そして、時間が経つのがやけに早く感じられた。そこにはロビーちゃんに急速に惹かれていく小生がいた。

3日目の昼間、レンタルした車で小生ら男性陣の3人とロビーちゃん、友人がお店で指名して気に入ったリセルちゃんの合計5人でドライブへ行くこととなった。待ち合わせ場所である『MICRONESIA(ミクロネシア)』前に例のごとく彼女たちが遅れて現れた。5人で車に乗り込み、目的の景勝地に向けてドライブの出発だ。しばらくすると助手席に座る小生に対して、ロビーちゃんが携帯電話を差し出した。フィリピンに帰国したアテ、つまりクリスティと電話が繋がっているから話してくださいと言うのだ。電話でクリスティがなかなか捕まらず最近話せていないと昨晩小生が言ったのを覚えていて気を利かせてくれたようだ。ロビーちゃんにとって貴重な国際電話の通話時間だろうに、それを消費して小生のためにフィリピンへ国際電話してくれるとは、なんて良い子なんだと感激した。こうしてロビーちゃんの配慮で久しぶりにクリスティの声が聞けたのだった。

広告

景勝地に着き、並んで海を見ながらロビーちゃんと佇んだ。このロビーちゃんといると沈黙が苦痛に感じない。他のフィリピーナたちとどこが違うんだろうか。時間がゆっくり流れる。やはり話題になるのは共通点であるクリスティの話だ。ロビーちゃんにとってアテ・クリスティの存在は大きかったようで、彼女が帰国して寂しいと言う。海を背景にロビーちゃんをデジカメに収めた。撮れた写真をロビーちゃんに見せながら「かわいいでしょ?」と思わず口が滑った。するとロビーちゃんは「背景がね」とすぐにかわした。他のピーナから冷やかされるとロビーちゃんは決まって小生のことを「ベストフレンド」と言う。ロビーちゃんのクリスティへの忠誠心は絶対で、小生への防御は鉄壁だった。

0711
(景勝地に勝る、若くて可愛いフィリピーナ2人の後姿)

夜は連日、小生と友人一人で『MICRONESIA(ミクロネシア)』を再訪し、当然それぞれロビーちゃんとリセルちゃんを指名した。そして、最終夜となるこの日は、お店の営業が終わった後、4人でガラパンから離れたところにあるカラオケ店で歌とアルコールを楽しみ、深夜も開いているレストランで食事をしたり、明け方まで遊んだ。クリスティはいないながらも、こうして濃厚なサイパン旅行を満喫した。

サイパンに何度も訪問するうちに知ったことだが、当時サイパンには『BODY MOTION(ボディーモーション)』、『MICRONESIA(ミクロネシア)』、『MERMAID(マーメイド)』、『Happiness(ハピネス)』、『Blue Lagoon(ブルーラグーン)』とたくさんのフィリピンパブがしのぎを削っていた。また『BODY MOTION』、『MICRONESIA』、『MERMAID』は同じオーナーで、この3店舗の娘たちは皆、同じ建物で共同生活をしていた。その建物はガラパンから歩いていけるほど近く、小生は待ち合わせのためその建物の前まで行ったことがあるが、男性立入禁止のため女の園に潜入するには至らなかった。サイパンはフィリピンから距離もそう遠くなく、フィリピンパブだけでなく様々な職に就くためにたくさんのフィリピン人が出稼ぎにやってきていることも後に知った。

広告

しかし、サイパンのフィリピンパブ全盛期はこの頃だったようで、小生の知る限りでも『BODY MOTION』と『MICRONESIA』はその後閉店となった。『MICRONESIA』は2013年に閉店になったようだ。サイパンの日本人観光客数は見事なほど右肩下がりらしく、代わりに韓国人と中国人が増加傾向にあり日本人にとって居心地の良いリゾートではなくなってきているようだ。サイパンは2005年当時40万人いた日本人観光客が近年は15万人を割り込んでおり、グアムが2005年当時の90万人から近年もほぼ横ばいなのと対照的だ。日本人観光客減少が日本からのフライト縮小を招き、それが更に日本人観光客の減少を招く、負のスパイラルに陥っているようだ。ガラパンにフィリピンパブが何店舗もあり、若くてレベルの高くて擦れていないピーナたちと遊べたのは、今となっては昔の話しになってしまったようだ。小生はその後、フィリピン中毒症の症状が深刻かつ苛烈になり日本での日々の生活だけで精一杯となったことから、2005年11月の旅行が最後のサイパン渡航となった。

0712
(GoogleMapのストリートビューで見た現在の『MICRONESIA』跡地、看板の跡が残っている)
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。