朝10時半ごろに成田空港に着いた。チェックインカウンターの番号を確認するため、フライト情報のモニターを見た。自分が搭乗するジェットスターのフライトが欠航と表示されていた。小生は信じなかった。何かの間違いだろうと思い、カウンターに向かった。カウンターには長蛇の列が伸びているのを見て不安が増してきた。カウンターにいるスタッフに聞いてみたところ、女性スタッフはひどく動揺しており、成田空港に向かっているはずの機材がまだマニラにいるとのこと。スタッフもいまそれを聞かされたばかりと言う。
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ここでぐずぐずしていたら今日、本当にマニラにいけないことになる。そう思ってすぐにインターネットできるPCに向かった。午後発の成田-マニラは他にもある。デルタのマイルがたくさんあるので当日の片道を取れないかと考えたが当日分の予約は取れないようになっていた。関空発のセブパシは金曜は飛んでいない。残る選択肢である関空発のジェットスターはまだ空きがあり、それを予約した。時刻は12時。あと3時間後にはKIXに到着している必要がある。新幹線だと間に合いそうにない。ネットで調べるとHND→KIXが14:15にある。それに乗れば間に合いそうだ。急いでバスのカウンターに向かい、羽田空港行きのバスチケットを買った。12:15発があり順調だと1時間15分で着くという。リスクが幾つかあった。道が渋滞していて14:15の便に間に合わなかったり、HND→KIXが満席だったり、KIX行きがディレイしてチェックイン時間に間に合わなかったり。どれか一つでも起きると今日中にマニラにいけない。しかし、小生はどうしても今日中にマニラに到着したかった。多少渋滞に捕まったものの運良く羽田空港にほぼ時刻どおりに到着した。HND→KIX便に空席があり無事にチケットも買えた。国内線に乗るのはかなり久しぶりだ。KIX行きが20~30分ほどディレイしての到着でかなり肝を冷やしたが、マニラ行きのチェックインにもなんとか間に合った。
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今日中にマニラに到着したい理由はJちゃんだった。今日マニラに到着し、明日サンボアンガに出発するまでの時間、Jちゃんと会う予定である。Jちゃんとは2012年8月に最後に会って以来、5ヶ月ぶりの再会だ。Jちゃんと最初に出会って1年半以上が経過する中で以前のような熱烈さは小生から失われていたが、彼女との関係は続いていた。Jちゃんから週一のペースでEメールが届き、小生からは週に1~2回SMSを送り、月一のペースでEメールを返していた。2012年8月20日、久しぶりにJちゃんに電話した際のこと。日本時間の夜10時、つまりフィリピン時間の夜9時ごろ、いつもなら甘えた口調でたくさん話してくるのに、この時はどうも会話がぎこちない。カラオケかバーのような騒音が後ろのほうで聞こえる。Jちゃんは家にいるというが、疑わしい。いつもなら電話をなかなか切らせてくれないほど喋り、終わり際も名残惜しそうに会話が途切れないが、この日は10分ほどであっさり電話が終わった。どうも彼女はKTVで働いているのではないかと思った。そう思うと、前回久しぶりに会った時、少しだけ日本語の単語を喋れるようになったのも納得がいく。「ボラボラでしょ~」なんてセリフはどうもKTVっぽい。以前は妊婦検診用にと月5000ペソほど仕送りしていたが、2012年6月初旬に最後の送金をして以降、Jちゃんからの催促もないし、特に働いているとも言わなかったのでどうしているのか気にはなっていたが、疑問が解消したように思った。何らか働いて稼いでいるのだろう。家にいると嘘をついたJちゃんに罰としてSMSの送信を止めると彼女は1週間で音を上げた。家にいたのは嘘でレストランで働いていたとJちゃんは白状した。レストランかどうかも怪しいが、とにかく働いているらしいことは分かった。その後、鴨ネギ気質の小生は母親の住むレイテ島でサリサリストアを始めたいというJちゃんに2万ペソを送った。母親や妹の住むレイテ島に行きたいといつも言う彼女は、これでサリサリを営みながらずっとレイテ島に居られる。良かれと思って送金したが、小生の考えは全くの見当はずれだった。Jちゃんは9月にマニラからレイテ島へ帰郷したが、10月にはもうマニラに戻ったと連絡があった。サリサリストアは母親が面倒を見ているという。彼女はマニラに戻って働いて、母親と子供のいるレイテに仕送りする必要があるのだろうと思った。そもそもマニラに居ればレイテが恋しいと言い、レイテに居れば母親と喧嘩してマニラに戻るというパターンを繰り返しており、小生が色々考えても無駄なのかもしれない。
今回の渡比1週間前にJちゃんと電話で話した時、会ったら結婚について話しましょうと言われた。それを聞いた瞬間、どんな話なのだろうと鼓動が早くなった。「いつアサワと別れて私と結婚してくれるの?!」と詰め寄られるのだろうか。ジョージクルーニーは最高だと常々思う。彼のように交際相手から結婚という言葉が出たら有無を言わさず速攻で別れるなんてことができれば良いが、小生にはとても出来そうにない。Jちゃんとの会話はタイ人と違って、タガログを解する小生にとっては言葉も通じるし、冗談ばかり言ってて楽しいものである。メールだと情熱的で真剣な感じだが、電話ではいつもすごく明るい。彼女は喋り方に品がなくシットを連呼するが、話好きなようでずっと一人で喋り続ける。電話を切らせてくれないほどである。大抵「じゃあ切るね」と言ってから5分ほどしてようやく切らせてもらえる。こうして電話とメールで再会を確認して渡比に至った。
マニラ行きの機内で左手に座った色気のある女性は日本で自分のお店をやっていると言う38歳のピーナだった。右手に座った男性はアンヘレスに3週間滞在するという初老の日本人男性だった。男性は10年近くアンヘレスに通っており、「アンヘレスは昔、尺八なんかしてくれなかった!!」と大きな声で豪語するもんだから、こちらが恥ずかしい。フィリピンに関わって数年、どちらも親しみを覚えるほど身近な話に感じられた。
成田発のジェットスターに乗っていれば16:40にマニラに着くはずだったが、関空発のジェットスターでの渡比となったのでJちゃんに会えたのは21時ごろだった。彼女は下から2番目の妹(19歳)を連れて来ていた。まだ会ったことがなかったので渡比前に連れてくるようJちゃんへお願いしておいたのである。Jちゃんに顔が似ていて、恥ずかしそうにしている妹はとても可愛かった。空港のタクシーは、空港近くのRemington Hotelまで700ペソとかふざけたことをぬかすので外のタクシーを捕まえることにした。が、空港の外で捕まえたタクシーもメーター改造タクシーで1km70ペソとべらぼうに高い。20分ほど走ってホテルに到着したが、399ペソと高額な表示だった。高すぎるので300ペソだけ払っておいた。チェックインして荷物を部屋に置いた。ここのホテルは初めてだったが部屋数がやたら多い。Remington Hotelのすぐ隣にある「Resort World Manila」で3人で夕食を取ることにした。「Resort World Manila」はマニラ国際空港ターミナル3の正面に位置しており、高級ホテルにカジノにブランドショップに多数のレストランに映画館までをも備える2009年にオープンした比較的新しい複合施設である。目玉のカジノは1階に煌びやかで巨大なフロアが広がっていた。2階のレストランで蟹を食べた。蟹は美味しかったが値が張り、1500ペソほど。ライスやトルタンタロンやジュースなどもオーダして総額2300ペソだった。妹をタクシーに乗せて帰して、小生とJちゃんはホテルの部屋に戻った。お互いシャワーを浴び、Jちゃんに生リンガを挿入して交わった。最後は大量の精液をJちゃんの膣内に放出して昇天した。2回目は激しく突くも濡れすぎててエレクトできる気配がなく諦めた。朝も生リンガで性交した。
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13時ごろにホテルをチェックアウトし、国内線に乗るため無料シャトルバスで目の前のターミナル3へ。16:30のフライトまで時間があるため、ターミナル3にある『Pancake House』でJちゃんと食事をすることにした。ここのパンケーキは看板商品だけにふわふわの食感で美味しい。急にJちゃんが切り出した。「私はずっとミストレス(愛人)なの?」とJちゃん。避けていた問いが突然目の前に訪れた。小生は何も答えられなかった。Jちゃんのことは外見も性格も好きだし、彼女とのセックスも相変わらず素晴らしかった。が、Jちゃんと一緒になることばかり妄想していた以前の情熱はすっかり下火になっていた。その後、気まずい雰囲気のままフライト時刻を向かえ、Jちゃんと再会を誓い合って国内線ゲートへ向かった。