【プーケットが残した新たなタイ熱】

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帰国後、プーケットの最終夜に出会ったゴーゴー嬢Bちゃんが心にずっと残っていた。しかし、小生のココロに残っていても、彼女にとって自分は毎日の中の一コマである。彼女は1月末にゴーゴーを辞めて田舎に帰るらしい。別れる間際に小生の携帯番号を手渡したが、彼女の携帯番号を聞きそびれたので、帰国後ゴーゴーを辞めるBちゃんと連絡を取るのはもう十中八九ムリだと思っていた。なので、帰国2日後に彼女から電話があった時、小生は歓喜した。その後、何度か電話のやり取りをするも、お互いタイミングが悪くじっくり話せない日々が続いた。

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(2月初旬)
プーケットの出撃から2週間経った2月初旬、まだプーケットの熱に小生はやられていた。次に確定しているアジア突撃は5月初旬である。タイ熱にやられた小生は5月まで待っていると我慢できずに気が触れそうだと実感した。そこで、週末を利用した3日間の超短期タイ出撃を急遽計画することにした。短期突撃なので、羽田発の深夜便を利用するつもりである。行き先はプーケットにしようかと半分本気で考えていた。プーケットにせよ、バンコクにせよ、パタヤにせよ、とりあえず正気を保っているうちにタイへの航空券を取って、後はそれを糧に生きていこう。

(2月中旬)
2月初旬までは辛うじてたまにBちゃんと連絡が取れたが、それ以降は電話もメールも応答がなくなり、2月中旬ごろには全くやり取りがなくなっていた。プーケットのマッサージ屋のMちゃんへ試しに何度か電話をしてみるも、ずっと電話が切れているのか、そのシムをもう使っていないのか、いつも圏外で不通だった。Bちゃんはもともとゴーゴーバーを1月末に辞めて帰郷すると言っていたし、Mちゃんもひょっとしたらもうプーケットにいないかもしれない。そう考えると、プーケットに拘る意味は全くない。疼くタイ熱を押さえ込み、3月の超短期タイ出撃は見送るのが妥当な判断だろう。しかし、妄想の坂を一度転がりだしたボールは急には止まらない。泰での夜遊びを想像しながら3月の航空券を購入してしまった。いつも半年前にはアジア行きの航空券を抑えることが多いアジア狂いの小生だが、1ヶ月前に急遽、タイ行きの航空券を購入することになるとは思わなかった。

時間が限られているので羽田の深夜発便を絡め、帰国は羽田の早朝着か成田の便でチケットを探してみた。JAL、ANA、タイ国際航空、さらにはシンガポール経由のシンガポール航空などを調べたが、断トツ安かった運賃¥40,000+税金サーチャージ¥13,550=¥53,550のJAL便を購入した。出撃先は絞りきれなかったこともあり、バンコク1泊、パタヤ1泊とした。バンコクへの突撃を控えて、去年世話になったバービア娘にSMSしてみると、まだナナのバービアで働いているとのことだった。バンコクは前回泊まって良かった「President Palace Hotel」に、パタヤはこちらも前回世話になった立地の良い「Baywalk Residence」にした。

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(3月初旬)
3月初旬某日、久々にBちゃんから着信があり、折り返すと珍しくきちんと話すことが出来た。彼女は電話に出れなくてソーリーソーリーと繰り返し言っていたが、何でそんなに電話に出れないのだろうか?そして、別れ間際に話したとおり1月末にゴーゴーバーをやめて、スラタニーへ帰郷したようだった。彼女は具体的にどこで何の仕事をしているのか、英語が通じないので意思疎通が出来ずよく分からない。その後も奇跡的にタイミングが合い何度か話したが、とにかくいつも忙しそうであり少ししか話せない。何度か話すことでBちゃんに会いたい気持ちが盛り上がったが、どこにいるのか分からない。スラタニーといえば有名なのがサムイ島だが、彼女は違うとのこと。どこにいるのかも分からないし、SMSも全く返ってこず、Bちゃんに会いたいのはやまやまだがスラタニーへ訪れても会える見込みは極めて薄いと言わざるを得なかった。

(3月上旬)
タイへの旅立ちはもう数日後に迫っていた。土曜日の早朝にバンコクに到着し、その夜にマレーシア在住の友人とバンコクで合流する予定である。それまでは無難にエロマッサとマッサージパーラー巡りをしようと考えていた。当初までは。しかし、それよりBちゃんと会える確率がたとえ10%でも会える奇跡にかけ、また彼女の住むスラタニーという新しい土地へ訪れる方がワクワクするし、結果がどうであろうと納得できると思った。そこで、会えるかどうかも分からないのに小生はバンコク→スラタニーの午前便と、同日のスラタニー→バンコクの夕方便を購入した。

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