チェリーと恋人の関係になって2~3週間後の2005年7月某日、小生が恋仲にどっぷり嵌ったのを十分に確認してから、ベッドで抱き合っていた彼女が真面目な顔をして告白した。「フィリピンに子供がいるの。」3歳になる男の子がいると言う。「子供がいるのが嫌なら別れても良い。でも、私を愛するように子供のことも愛して欲しい。」父親になったことのない小生に、ましてや会ったこともない子供を愛することなんて無理だ。「それじゃあ、子供がいるのは嫌だから別れよう」と言えるはずがないことをチェリーは見抜いていた。なにより小生の心はもうチェリーにしっかり捕まれていた。今から思えばその時別れるなんて許されるはずもなかったろう。こうしてチェリーとの関係は続き、より深い愛憎の沼地を進むことになった。
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チェリーとの出会いはあったが、サイパンのクリスティとの連絡のやり取りは続いていた。電話でクリスティの声を聞くと必ず激しく彼女が恋しくなった。2005年6月下旬のサイパン旅行でクリスティと出会い、『MICRONESIA(ミクロネシア)』のショーとクリスティの魅力に小生は衝撃を受けた。ごく自然な流れで旅行から帰国して約1週間後、小生は1カ月後のサイパン行き航空券を押さえていた。2万マイルの特典で入手したノースウェスト航空の往復航空券だった。
そして、2005年8月、クリスティに会うためまたサイパンに向かった。この年4回となるサイパンだった。今回も有休を1日付けて、2泊3日の短期決戦である。今回も宿はガラパン小学校裏にある格安ホテル「Capital Hotel」とした。なぜなら、ハファダイや第一やハイアットなどの大型有名ホテルだと女を連れ込めないからだった。万が一の奇跡を考慮して「Capital Hotel」を選んだ。貧乏サラリーマンには懐に優しいことも利点だった。
ライトが光り爆音が鳴り始めた。天使たちが舞う様子を恍惚と見とれていた。サイパン初日の夜、当然クリスティのいる『MICRONESIA(ミクロネシア)』に小生はいた。やはりショーは見ごたえがあってクリスティは魅惑的だった。聞けば毎日のように昼間にお店に集合して、数時間ショーの練習をしていると言う。そして夕方から深夜までお店で勤務となかなか忙しい毎日を送っているようだ。前回のように昼間デートを申し込むと快諾してくれた。翌日、同室の妹分であるロビーちゃんを連れてクリスティはやってきた。DFSギャラリア・サイパンにあるハードロックカフェ・サイパンで食事を取ることにした。ランチを終えて、どこか行きたい?と尋ねるも特に無いと言う。小生の部屋に来る?と聞いてみると、まさかのOKだった。ただし、ロビーちゃんと一緒である。
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部屋にはベッド以外、何もない。小生、クリスティ、ロビーちゃんの3人で寝転んだ。小生とクリスティは向き合ってキスをした。ロビーちゃんは背を向けて横になっている。クリスティと初めてキスをした。小生はまさにこの世の春を謳歌していた。興奮したリンガはうっ血しそうなほど膨張していた。しかし、ロビーちゃんが傍にいるのでそれ以上進みようがなかった。夜は『MICRONESIA(ミクロネシア)』に連日で訪れ、2~3時間ほどクリスティと過ごした。その翌日の最終日は、またクリスティと会ってランチを一緒に取った。クリスティと仲を深めて2泊3日のサイパン旅行を終えた。
日本に戻ってもチェリーを中心に脳内フィリピン祭りは続いた。もう頭の中はフィリピンだらけだ。病気と言っていい。フィリピン関連の情報をネットで読み漁り、やがてタガログ語を勉強するための書籍を片っ端から買って毎日勉強するようになり、フィリピンパブへ通うようになり、書店へ行けばフィリピン関連の本を探し、街を歩けばみんなフィリピン人に見え、毎日フィリピンの経済ニュースをチェックするようになった。小生の見栄もあり、チェリーからのお願いに弱いこともあり、覚えたてのタガログ語が通じるのが楽しいこともあり、フィリピンパブへ通う頻度はどんどん上がっていった。
初めてフィリピンパブを訪れたその翌月、つまり2005年8月には3日に1回の頻度でフィリピンパブへ繰り出し、8月の出撃回数は計10回、戦費は計19万円と貧乏サラリーマンの常識を逸脱した行動に至るまでに症状は進んでいた。そして、脳内フィリピン祭りはさらに激しさを増していくことになった。
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