深夜0:30にゲイランに到着した。昨日に引き続き、連日のゲイラン参りである。昨日と同じようにロロン18から西に向かって1本ずつ散策した。ロロン12やTalma Roadには昨日と同じくらいの数の立ちんぼがいた。ただ、Talma Roadを2~3度通ってみても、昨日のネシア娘が見当たらない。違う娘にトライするか昨日のネシア娘にこだわるか悩みながら放浪を続けていた。
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すると、ロロン12とロロン14の間の小道で中華娘に捕まった。顔はまあまあだったが、すごいフェロモンで迫ってくるし、強引だし、とても執拗だ。手を掴んで無理やりヤリ部屋に引きずり込もうとする。いつもなら手を振りほどいて逃げるところだ。ただ、この中華娘はかなりエロそうに見えた。彼女の積極性が小生の好奇心とエロ心を動かした。試しに1回のプレイ時間で二回戦ができないか聞いてみた。が、断られた。その代わり尺八してくれるという。彼女の色気に負けてセックスすることにした。部屋代12ドルを前払いで払い、部屋に入る。女には後払いで80ドルだ。二人でシャワーを浴びて、彼女は小生に仰向けで寝転ぶように言った。音を立てて生尺八を始めた。とても上手で、快感ですぐにリンガが勃起した。ゴムをつけてもらい彼女に挿入した。彼女はすごい体勢だ。正上位で突いていると彼女は自ら両方の足先を手で抱えたり、体を密着させようと抱きついたり、果敢かつワイルドだ。セックスに対しての真摯な姿勢は小生を感心させた。彼女は快感に何の役にも立たない羞恥心を完全に排除しており、中華娘の特徴が見事に現れていると思った。彼女のアソコはかなり締まりが強かった。自分で締まりをコントロールできるようで、締まりのきつさに堪らず数分でエレクトしてしまったΣ(*゚Д`;)ア… 締まりをコントロールできる彼女の類稀なる技能とセックスへの真摯さを小生が認定してあげたいぐらいだ。そして、その認定バッチを胸に立ちんぼをして欲しいと思った。
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このまま帰るのはつまらないように思えた。まだセックスし足りない。昨日のネシア娘のことも気になる。軍資金が尽きたので、ぶらぶら両替屋を探すも全く見つからない。以前、両替したことのあるゲイランロード沿い(ロロン8とロロン10の間)の両替屋はとっくにクローズしていた。何軒かホテルで両替できないか聞いてみたが、ゲイランの三流ホテルでは出来ないようだった。またTalma Roadを通ったが、昨日のネシア娘はいなかった。Talma Roadにいる大柄なポン引きに1万円を両替したいと伝えると娘を選べと言った。両替する代わりに立ちんぼを選べということのようだ。立ちんぼとのやりとりを見ていると、どうやらポン引きも娘たちもタイ人のようなので、タイ語を少し喋ってみるとタイ娘たちは大はしゃぎである。タイ語を勉強していて良かったと思った。囲まれた7~8人の娘の中から一人のかわいい子を選んだ。結局、ポン引きから1万円を130ドルで両替できた。女と一緒に向かったのは、昨日と同じヤリ部屋長屋だった。40ドルを払った。部屋に入った時、時刻は1時半になっていた。愛嬌のある顔立ちの彼女はプンちゃん、26歳でイサーン出身という。彼女は日本語を少し喋れた。恐らくこれまで色々と苦労してきているのだろう。2人でシャワーを浴びて、ベッドサイドで彼女とディープキスをした。大丈夫だった。彼女は濃厚なディープキスをすんなり受け入れてくれた。たくさんキスしてからベッドになだれ込んだ。リンガは既に硬直している。冗談半分で硬直リンガを生ですりつけて挿入しようとすると、ダメよと彼女は微笑んだ。ゴムをつけて挿入した。ベッドの横には大きな鏡があって腰を振る小生が写っている。ある程度、挿入を楽しんでからエレクトした。彼女は12月7日にタイに帰るとのことだった。イサーンに帰る?と聞くとパタヤに行くらしい。ノースパタヤのバービアで働くようだ。小生も12月にタイに行くからパタヤに会いに行くよと言ってみると、シンガポールの携帯番号とタイの携帯番号を教えてくれた。チップ10ドルあげてから部屋を出た。Talma Roadに出て彼女とバイバイして振り返ると、昨日のネシア娘がいた!なんてタイミングが悪い!気まずく感じた小生は下を向いたまま彼女の前を足早に通り過ぎた。
ネシア娘に、中華娘に、タイ娘とそれぞれの国の立ちんぼ娘を味わったゲイラン紀行となった。会話ができると親密さがやはり大きく違った。タイ娘とのやりとりを通じて実感した。数日後、日本に帰国してからプンちゃんにSMSをした。彼女は小生のことを覚えていると言った。小生がタイに行くのは何日かと聞かれたので12月27日と答えると、彼女は26日にはパタヤからイサーンの実家に帰るという。そして、私の実家に一緒に来ないかと誘いを受けた。日本人の感覚なら一度しか会ってないのに、実家にお邪魔して良いのか心配になる。それにこれ以上タイ娘の実家訪問をすると、実家に訪れないと気が済まない病に陥るのではないかと我ながら思う。実家訪問は考えておくと、曖昧な返事をしたら、12月7日にパタヤに来てとお願いがあった。彼女はこれからもたくましく生きていくに違いない。