【サンボアンガ沖合いのサンタクルーズ島へ】

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サンボアンガ市庁舎を東に進んで、Lantaka Hotelを通り過ぎしばらく行った所に、Santa Cruz Island Ferry Terminalがある。早朝に起きたものの、いつものように出発までに時間がかかり、さらに家から市街地まで1時間ほどかかるため、着いたのは9時半ごろだった。約束の時間はもっと早かったような気がするが。到着したのはFerry Terminalと言っても立派な建物があるわけでもなく、単なる岸壁だったりする。このあたりは屋台や簡単なレストランがあって海沿いのロケーションの良さから学生らやカップルがたくさんいる。小生もファミリーと一緒に何度かここで食事を取ったことがあった。

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(サンタクルーズ島への往復で乗ったボート)

10人ほどが乗れる小型ボート1隻が岸壁で待っていた。子供を入れると十数名の大ファミリーに加えて姉妹の友人が数名と大所帯なのでボート2隻でサンタクルーズ島へ行くことになった。大量の料理や幾つもの寸胴鍋や炊飯器や水やソフトドリンクが次々とボートに運び込まれる。じきに2隻目のボートもやってきた。なお、サンタクルーズ島へ行くには治安上の問題から自動小銃を持った軍人が1人同行することが義務付けられているようだ。そして、同行してもらう軍人へこちらから食事の提供を行うことになっている。

聞くところによると以前、サンタクルーズ島でゲリラによる西洋人の誘拐があったようだ。なお、サンボアンガ市内の繁華街を歩いていても特に危険な雰囲気は感じないが、たまに市庁舎付近や空港などで爆破事件が起きたりする。市内から離れたファミリーの家へ向かう幹線道路では銃を持った軍人または警官による検問所を毎回通らないといけなかったりする。このあたりはフィリピンの普通の地方都市とは異なる光景と思われる。

大量の食事とファミリー一行が2隻のボートに乗り込み、サンタクルーズ島へ向けて出発した。途中で1隻のボートのエンジンがたびたび止まるので冷や冷やしたが、船頭は恐らく慣れているようで、止まる度に苦労しながらエンジンをかけなおしていた。大海原を小型ボートで進み、サンボアンガの海岸が遠く離れてくるとボートの小ささに少し不安を覚えた。そのうち島が近づいてきて、30分ほどで小さなサンタクルーズ島に到着した。

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白い砂浜の向こうに簡素なコテージが幾つかある。既に1~2組のファミリーが遊びに来ていた。たしか数百ペソを払ってコテージを1つ借りて食事と水を広げた。さっそく海で泳ぐのかと思えば、みんなブッフェ形式でお皿に色々な料理を盛って食べ始めた。太陽が高くなっていくにつれ、曇っていた天候は青空まぶしい快晴になった。すると、薄いピンクの砂浜が青空と海を背景に鮮やかに浮かび上がった。この砂浜を見て一気に気分が高揚した。これがサンタクルーズ島の魅力のようだ。子供も大人も食べたり海に入って遊んだりを繰り返す。同行の軍人は他のグループに同行した軍人と一緒に座ってくつろいでいる。ただ、ときどき無線でどこかと連絡を取っているようだ。

ひとしきり遊んで14時半ごろにまた小型ボートで岐路に着いた。あまり暗くなると危険だからだそうだ。また、1隻のボートはエンジンがよく止まりながら、30分かけて対岸のサンボアンガの港に到着した。1隻あたり1000ペソを支払った。

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(自動小銃を持った軍人が同行する)
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(Santa Cruz Islandにあった看板)
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(薄いピンクの砂浜が美しいSanta Cruz Island)

明日は帰国日なので、その前にFort Pilarへ行きたいとアサワが言うので夜に向かった。ここはいつもすごい人手だ。ろうそくを火の中にくべたり、イエスキリストの祭壇の前を歩いたり、祈ったりした。

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その夜はGRILL88というレストランで食事をした。小さなステージがあり、たまに女性シンガー2人が歌っている。ここには託児所ルームがあってお金を出せば子供をここで遊ばせておいて、大人はゆっくり食事できるというわけだ。ただ、こういったレストランは値段が少し張る。サンタクルーズ島に友人を連れて行くことができなくてすねていた母親だったが、このレストランに母親の友人も連れてくることで母親の機嫌は直ったようだ。翌日、無事にマニラ空港を経由して日本へ帰国した。

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(ピラール要塞の祭壇)
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